昔の日記はこちらから(2002年10月〜2009年12月)

水平線
 今年も8月3日の命日、墓参りも済み、あとはもう秋の訪れを待つのみの心境。
 当日は午前11時過ぎから墓前にての読経が始まり、避けるところのない炎天下、高齢になったこーじのとーちゃんかーちゃんの身を案じるだけで精一杯だった。
早朝に勝沼入りしたオレは、誰の目を気にすることもなく、9時には掃苔を済ませ2人に気持ちは伝えてある。
前日に来たであろう、こーじの高校の同級生竹内やコウスケたちが生けてくれた花が炎天下でも咲き誇っていて、2人に対する強い思いを象徴しているかのよう。
 2人、そしてりえちゃんのご家族が亡くなったであろう11時30分頃には、本堂に場を移し、久しぶりにこーじの家族と談話してた。
 今日で8年。
そんな言葉が脳裏に何度も浮かんでは消える。
睨みつけたくなるほどの日差し、熱風もあの日と同じだ。
 誰をも憎まず、ただただこの日差しを憎しとする。
オレの感情のコントロールはいつしかそのようになっていったと思う。
 夏はただただ熱いだけで、目を逸らす対象になってしまった。
 
 今年もボチボチ、丸1週間の盆休みが始まろうとしている。
ポツリポツリと入っている2、3の用事の他には特別どこかへ出張る用事もなく、普段手の回らないことに時間を費やせそうだ。
オレも45度目の夏。
 10年ひと昔とはもう死語なんだろう。
環境が人を育てるのなら、移り変わりの早い今の世の中では、8年という年月はすでにそれ相応、もしくはそれ以上といってもいい。
 オレもすっかり人が変わり結婚して環境も変わった。
 そして、いろいろなことを想像するのが難しくなった。
過去と現在が渾然一体となり、時々今どこにいるのか、目覚めはおろか、運転中、飲食中などに我に返える時がある。
その"我"さえ、どっちが裏でどっちが表なのか区別つかなくなる。
過去の自分を、まるで他人の記録映画を観ているように俯瞰している。
 悪い夢でも見ていたのか。
もしくは、いい夢が醒めてしまったのか。
 きっと今が充実しているからなんだろう。
人並みの生活なんて、想像もできず求めてもいなかった。
3日で飽きる趣味のように、乗りかけた船は瞬時に景色を変えてくれ、それは今でも遠くオレをいざない続けてくれている。
 手を伸ばしてもすでに遠い港は、わずかポツリ水平線の上、近づけぬ永遠。

 
 
 
2020.8.8[土]

甲府盆地
 煙のようなガスが垂れ込めた小雨舞う山梨は甲府。
牧歌的に広がる勝沼のぶどう桃農園を通り過ぎ甲府盆地のど真ん中に来てる。
見慣れた景色とはいえ、こうもガスってしまうと山も飲まれ、ただののっぺりとした平野と変わりない。
 今年ももうすぐだ。
8月3日に日の出の富士に再会を拝んだ後、またこの地を踏み墓前に額ずき掃苔を果たす。
昨年は酷い目にあった。(通風発症)
今年は元気よく1年分の報告ができそうだ。
 
 昨夜久しぶりにこーじの夢を見た。
毎回、夢の時代背景は過去の場面ではなく、現在進行形の時が多い。
今のオレが、"あの時のまま"のこーじと普通に会話してる。
実際は随分と年も離れてしまったのに。
机を目の前にお互い同じ方向を向いて座り、他愛もない会話。
迷っている時は少し困ったような顔になり、何事もなかったように、、、あーだこーだと話してくる。
 夢から覚めしばらく、感情のないロボットのように無機質に現実に戻っていく朝。
 今日は何を食べようか。
気持ちのチューニングを強引に戻していく。
 
(2020.7.9[木])

青空あれど
連日ジメジメの梅雨日。
昨日はなかなかの重量のあるケースを手積み。
大量の汗をかき少しバテる。
高速道路も大雨の影響で通行止めが続き、満身創痍の態で帰社。
カバンと傘、両手が塞がり少し迷うも帰りにクリエイトに寄りパックの酒を買う。
帰ったらまず酒。
うがい手洗いよりも早く、クイっと一杯。
 少し酒で心身をほぐしたら、汗を流しにやっと動けるようになる。
 口当たりのいい醸造用アルコールの風味がしみじみとうまい。
 贅沢にできていない自分は幸せだと思う。

 今朝は外房に近い千葉に来てる。
東の空、外房の海上だろうか、綿に点在する水溜りのように青空を覗かせている。
久しぶりの青空は肌色がかり、束の間の夢のようにどこか遠い。
また今日も予報通りジメジメと降るのだろうか。
 もう連日、そして毎年、熊本を主に九州の自然災害の報が伝えられている。
 もし、雨、災害、悲しみも苦しみも全て、日本全体に万遍なく行き渡るのなら、甘んじて受け止めたいものだ。
 ひどく憎い遠くの動かぬ雲。
 
(2020.7.8[水])

家族
 気づけば月を跨ぎ7月。
昨日までのどんより灰色な空も、今朝は梅雨明けのように朝から強い日差し。
昨日までの強風だけは居残り、遠く里山の木々を揺らすも朝から車外の温度計は30℃を示している。
しかし、温度というものはアテにならないね。
不快指数とは湿度。
湿度計の方が必要なんじゃないかと思う。

 明日はお袋の病院通いのため上京。
その後、地域包括支援センターの人と面会。
今後、一人暮らしのお袋の私生活支援についての打ち合わせ。
オレも45。
親の代もそういう時期に来たということだ。
 身ひとつで家を飛び出し、逞しく生きてきたあの強くて美しかった母はもういない。
でもそれは"生きた証"。
素晴らしいことだ。
生きるということは"変化"。
死んだ人間は写真1枚。
ずっとあの時のまま、オレの手元で止まっている。
 
 人に好かれるお袋は、日々気遣ってくれる友人、恋人もいて有り難い。
そのかわり三姉妹の末っ子、姉妹は絶縁状態でその消息もわからない。
 人には欠けた分、補われるものがあるのかもしれない。
 家族とは何だろう。
最近ふと考える。
 お袋はいつどこでどのように死ぬのだろうか。
先に立って考え、粛々と備えるのが、オレにとっての親子、家族なのかもしれない。
情緒的な部分は、その年に近づくにつれ、追々込み上げてくるんだろう。
 泣き虫で、お母さんっ子のままでいたのなら、今また違った自分が在るのかもしれない。
 だとしたら、オレはよかったんだと思う。
悲しみは、身体中の血が沸騰するように耐え難い。
 no more hard timeだ。

 
 
(2020.7.2[木])

旅情
 茨城は水戸を越え大洗。
見えずとも潮の香り。
那珂港という標識。
那珂川の河口になるのかな。
シャケが遡りウグイが食文化として根差す栃木は那珂川。
ここをキャンプしながらカヌーで下るのが夢だった。
今では宝物だった赤いカナディアンカヌーも、会社で池となり、メダカ、金魚、ザリガニからカエルの棲家として活躍している。笑
 カヌーでもいい、歩きでもいい。
いつか日本を旅してみたい。

 今日の旅は大洗から海岸線で潮来へ下り、そこから神奈川は平塚で荷を積む工程。
 今日の昼はせっかくだから大洗の海っぺりで海鮮を食べようか。
潮来の道の駅で美味しいお米を食べようか。
行った先々、その土地土地の物に舌鼓を打つのもこの仕事の醍醐味。
 茨城とはいえここまで来ると、だいぶ"来た感"があり旅情も増す。
みんな元気にしてるかなぁ、なんて。
たかだか神奈川、夕方には帰るくせに、空を見上げてひとり遊んでいる。
 
(2020.6.26[金])

Go west
 静岡県内を走行中、北関東でやや大きめの地震の報。
千葉北東あたりが震度5弱。
津波の心配なし。
ひと安心。
 東名高速も所々大雨の区間があり、いつもに増して神経を使う。
平均時速100キロで走っているので、地震の揺れも気付きにくい。
 こんな時、ラジオはありがたい。
ちなみに曲途中でも地震の速報は割って入る。
今回はドリフターズの"Go west"途中でアナウンスが入った。
どう耳をそば立てても"いかりや長介"の声を聴き取れなかった。
にんにきにきにきにんにきにきにき♪
が頭から離れない。
カントリーアレンジがぴったりの曲。

午前中6時、無事PAに落ち着く。
にんにきにきにき♪もやっと離れてくれた。
ナイフでちょっと遊び束の間の仮眠へ。
今日は朝一から肉体労働だ。
なまった体をしばき倒してやる。
(2020.6.25[木])

ジンセイは喜劇
 夏至も過ぎ梅雨真っ只中。
相変わらずの毎週末の上京は続いていて、なかなかにしつこいお袋の体調不良もいよいよ憎らしくなってきた。
 病気と症状は必ずしも定説的なものではなく、人により様々。
 傷に赤チンを塗っていても、茨の道を裸足で歩いていてはいっこうに治らない。
なんでも原因を突き止められるのであれば話が早い。
 そっくりと体を入れ替えてあげて、オレの免疫力でとっとと病魔を蹴散らしてあげたい。
あたかも、母想いの孝行息子のように聞こえるかもしれないけど、その実、これは大いに自分のためでもある。
 週末の東京通いは肉体的、精神的にも1日仕事になってしまう。
人混みに長時間いるとゲロを吐きそうになってしまう世捨ての民のようなオレには、静かにストレスとなっている。
 視野を目先にフォーカスしない。
来年の今頃は、笑いながら昨日のことのように振り返られていることを信じ、大股で歩くよう努めている。
 
(2020.6.24[水])

歩を得る
 早朝千葉入り。
本日8時半指定、資材搬入の現場近くで待機。(仕事の日報みたいな書き出しだ笑)
 新型コロナ関連の解除に伴い、交通量も戻ってきている。
 気分的にはポジティブな思いだけど、今日のような時間指定の現場となると難儀になる。
なんでもそうだ。
立ち位置で幸も不幸になり、またその逆も然り。
 早駆け、一歩先の行動がモノを言う。
今朝の仕事はほぼ成功だ。
 プロとは、表に出ぬ成功を毎日粛々と繰り返す。
 撒かれたところで花を咲かせるように、どんな状況からでも、充実ややりがいを見出す。
美意識に近い。
 こうして創り出したわずかな時間は、この日記を書いたりsns関係を更新したり、ギターに費やす。
 毎日のこうした二次的な産物の繰り返しは累計するとなかなかに大きく、戸を開ければ何年も変わらぬ廃墟のような内面の停滞は、ここ数年のオレには耐えられない。
 
 今朝だってこの日記を書けた。
これだけでも、明日の駆け出しが違ってくるんだ。
(2020.6.2[火])


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