昔の日記はこちらから(2002年10月〜2009年12月)

秋漂う
 朝晩はだいぶ涼しくなり、水風呂に入らずともニンゲンを取り戻せるようになってきた。
 本来ならこの時期、たばこ祭のミュージックフェスタや秋のイベントに向けたリハで週末が埋まっていて、気持ち的にも季節の節目の恒例行事となっているんだけど、今年はコロナの影響で軒並みイベントはキャンセル。
 おかげでいつもとは違った神経、アンテナでこの時期を過ごせている。
 なんだか恒例化が先走り、たばこ祭ミュージックフェスタでのモチベーションも微妙なものになっていたので、そもそも今年はエントリーしていたかは微妙で、他人のふんどしで決着をみたようなこの結末は、願ったわけではないけど叶ったり。
 それでもいくつかのライブは決まっていて、逆に数少ないその瞬間に気持ちが集中できる。
 私生活も充実しているというか、大人しく家にこもって好きなものを手にしている方が、変なエネルギーの消耗に巻き込まれてることもなく、余計な影響から逃れられて楽。
 なるべく自分に集中していきたい。
好きなもの嫌いなものをはっきりと分かち、自分の輪郭から溢れ出た臭気が歌からほんのり漂う、それがオレの自己表現。
 

 
(2020.9.17[木])

youtube
 最近はyoutube投稿なんぞを初め、普段の姿をsnsに晒しています。
編集や操作にも慣れ、何かあるとスマホを回し、イッパシのユーチューバーよろしく、独りカメラに向かって話すことにも慣れてきました。
 ライブロスの産物とでも言いましょうか、こんな時だからこそのチャレンジ、果たしてやってみれば、自分を客観視できるというか、口ぐせ、口調、食指の向くもの、興味ないもの(そもそもカメラを回さない)etc、我ながら如実に滲み出ていて、けっこう楽しんでます。
 思えばずっと人任せのジンセイだったから、今こうして何でも自分を晒しチャレンジしてみると、その大変さと楽しさを実感しています。
 tadatomo channelで検索頂くと、この間抜けな面が晒されてます。
よかったら覗いてみてやってください。
 最近はBGMなども、iPhoneの録音機能を使って爪弾き、動画に挿入しています。
 ロマンチストじゃないけど、改めて弾いてみる自分の曲のフレーズは、向き合えば向き合うほど走馬灯のように、過ぎ去りし日への望郷に似た感慨に耽ってしまいます。
そんな部分も楽しんでもらえたら、このチャレンジの本望です。

 
 
(2020.8.28[金])

今日も縁側で
 一時の猛暑からは少し解放されたものの、日中はまだ外気34℃を示している。
東京は福生、米軍基地近くの公園脇で待機しているものの、広場は人っ子1人も見えず閑散としている。
セミだけがジジジジとやかましい。
 先週は岐阜や埼玉などで40℃を体感しているので、それに比べればマシなだけで、まだまだしぶとく暑いにかわりない。
 ただ朝夕はだいぶ夏の終わりを感じさせてくれるようになったのが嬉しい。
 最近はコオロギの音に耳を傾けながら縁側でスコッチの水割りを飲るのが日課になっている。
 今日も縁側で、週末の懐かしい友との再会、思い出、久しぶりの心置きないメンバーとの演奏、いつもそばで見守ってくれるキミへの感謝を思い返しながら乾杯だ。
 大事な大事な時間や人は、その時だけにあらず、いつまでも眩しいくらい愛おしい。
 
(2020.8.24[月])

水平線
 今年も8月3日の命日、墓参りも済み、あとはもう秋の訪れを待つのみの心境。
 当日は午前11時過ぎから墓前にての読経が始まり、避けるところのない炎天下、高齢になったこーじのとーちゃんかーちゃんの身を案じるだけで精一杯だった。
早朝に勝沼入りしたオレは、誰の目を気にすることもなく、9時には掃苔を済ませ2人に気持ちは伝えてある。
前日に来たであろう、こーじの高校の同級生竹内やコウスケたちが生けてくれた花が炎天下でも咲き誇っていて、2人に対する強い思いを象徴しているかのよう。
 2人、そしてりえちゃんのご家族が亡くなったであろう11時30分頃には、本堂に場を移し、久しぶりにこーじの家族と談話してた。
 今日で8年。
そんな言葉が脳裏に何度も浮かんでは消える。
睨みつけたくなるほどの日差し、熱風もあの日と同じだ。
 誰をも憎まず、ただただこの日差しを憎しとする。
オレの感情のコントロールはいつしかそのようになっていったと思う。
 夏はただただ熱いだけで、目を逸らす対象になってしまった。
 
 今年もボチボチ、丸1週間の盆休みが始まろうとしている。
ポツリポツリと入っている2、3の用事の他には特別どこかへ出張る用事もなく、普段手の回らないことに時間を費やせそうだ。
オレも45度目の夏。
 10年ひと昔とはもう死語なんだろう。
環境が人を育てるのなら、移り変わりの早い今の世の中では、8年という年月はすでにそれ相応、もしくはそれ以上といってもいい。
 オレもすっかり人が変わり結婚して環境も変わった。
 そして、いろいろなことを想像するのが難しくなった。
過去と現在が渾然一体となり、時々今どこにいるのか、目覚めはおろか、運転中、飲食中などに我に返える時がある。
その"我"さえ、どっちが裏でどっちが表なのか区別つかなくなる。
過去の自分を、まるで他人の記録映画を観ているように俯瞰している。
 悪い夢でも見ていたのか。
もしくは、いい夢が醒めてしまったのか。
 きっと今が充実しているからなんだろう。
人並みの生活なんて、想像もできず求めてもいなかった。
3日で飽きる趣味のように、乗りかけた船は瞬時に景色を変えてくれ、それは今でも遠くオレをいざない続けてくれている。
 手を伸ばしてもすでに遠い港は、わずかポツリ水平線の上、近づけぬ永遠。

 
 
 
2020.8.8[土]

甲府盆地
 煙のようなガスが垂れ込めた小雨舞う山梨は甲府。
牧歌的に広がる勝沼のぶどう桃農園を通り過ぎ甲府盆地のど真ん中に来てる。
見慣れた景色とはいえ、こうもガスってしまうと山も飲まれ、ただののっぺりとした平野と変わりない。
 今年ももうすぐだ。
8月3日に日の出の富士に再会を拝んだ後、またこの地を踏み墓前に額ずき掃苔を果たす。
昨年は酷い目にあった。(通風発症)
今年は元気よく1年分の報告ができそうだ。
 
 昨夜久しぶりにこーじの夢を見た。
毎回、夢の時代背景は過去の場面ではなく、現在進行形の時が多い。
今のオレが、"あの時のまま"のこーじと普通に会話してる。
実際は随分と年も離れてしまったのに。
机を目の前にお互い同じ方向を向いて座り、他愛もない会話。
迷っている時は少し困ったような顔になり、何事もなかったように、、、あーだこーだと話してくる。
 夢から覚めしばらく、感情のないロボットのように無機質に現実に戻っていく朝。
 今日は何を食べようか。
気持ちのチューニングを強引に戻していく。
 
(2020.7.9[木])

青空あれど
連日ジメジメの梅雨日。
昨日はなかなかの重量のあるケースを手積み。
大量の汗をかき少しバテる。
高速道路も大雨の影響で通行止めが続き、満身創痍の態で帰社。
カバンと傘、両手が塞がり少し迷うも帰りにクリエイトに寄りパックの酒を買う。
帰ったらまず酒。
うがい手洗いよりも早く、クイっと一杯。
 少し酒で心身をほぐしたら、汗を流しにやっと動けるようになる。
 口当たりのいい醸造用アルコールの風味がしみじみとうまい。
 贅沢にできていない自分は幸せだと思う。

 今朝は外房に近い千葉に来てる。
東の空、外房の海上だろうか、綿に点在する水溜りのように青空を覗かせている。
久しぶりの青空は肌色がかり、束の間の夢のようにどこか遠い。
また今日も予報通りジメジメと降るのだろうか。
 もう連日、そして毎年、熊本を主に九州の自然災害の報が伝えられている。
 もし、雨、災害、悲しみも苦しみも全て、日本全体に万遍なく行き渡るのなら、甘んじて受け止めたいものだ。
 ひどく憎い遠くの動かぬ雲。
 
(2020.7.8[水])

家族
 気づけば月を跨ぎ7月。
昨日までのどんより灰色な空も、今朝は梅雨明けのように朝から強い日差し。
昨日までの強風だけは居残り、遠く里山の木々を揺らすも朝から車外の温度計は30℃を示している。
しかし、温度というものはアテにならないね。
不快指数とは湿度。
湿度計の方が必要なんじゃないかと思う。

 明日はお袋の病院通いのため上京。
その後、地域包括支援センターの人と面会。
今後、一人暮らしのお袋の私生活支援についての打ち合わせ。
オレも45。
親の代もそういう時期に来たということだ。
 身ひとつで家を飛び出し、逞しく生きてきたあの強くて美しかった母はもういない。
でもそれは"生きた証"。
素晴らしいことだ。
生きるということは"変化"。
死んだ人間は写真1枚。
ずっとあの時のまま、オレの手元で止まっている。
 
 人に好かれるお袋は、日々気遣ってくれる友人、恋人もいて有り難い。
そのかわり三姉妹の末っ子、姉妹は絶縁状態でその消息もわからない。
 人には欠けた分、補われるものがあるのかもしれない。
 家族とは何だろう。
最近ふと考える。
 お袋はいつどこでどのように死ぬのだろうか。
先に立って考え、粛々と備えるのが、オレにとっての親子、家族なのかもしれない。
情緒的な部分は、その年に近づくにつれ、追々込み上げてくるんだろう。
 泣き虫で、お母さんっ子のままでいたのなら、今また違った自分が在るのかもしれない。
 だとしたら、オレはよかったんだと思う。
悲しみは、身体中の血が沸騰するように耐え難い。
 no more hard timeだ。

 
 
(2020.7.2[木])

旅情
 茨城は水戸を越え大洗。
見えずとも潮の香り。
那珂港という標識。
那珂川の河口になるのかな。
シャケが遡りウグイが食文化として根差す栃木は那珂川。
ここをキャンプしながらカヌーで下るのが夢だった。
今では宝物だった赤いカナディアンカヌーも、会社で池となり、メダカ、金魚、ザリガニからカエルの棲家として活躍している。笑
 カヌーでもいい、歩きでもいい。
いつか日本を旅してみたい。

 今日の旅は大洗から海岸線で潮来へ下り、そこから神奈川は平塚で荷を積む工程。
 今日の昼はせっかくだから大洗の海っぺりで海鮮を食べようか。
潮来の道の駅で美味しいお米を食べようか。
行った先々、その土地土地の物に舌鼓を打つのもこの仕事の醍醐味。
 茨城とはいえここまで来ると、だいぶ"来た感"があり旅情も増す。
みんな元気にしてるかなぁ、なんて。
たかだか神奈川、夕方には帰るくせに、空を見上げてひとり遊んでいる。
 
(2020.6.26[金])


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