昔の日記はこちらから(2002年10月〜2009年12月)

2012年04月の日記

〜あと一日の辛抱〜
 なんだか今日ははっきりしない天気ですね。
降るなら降る!降らないなら降らない!とはっきりしてほしいものです。
。。。降られては困りますが。

 週末が近づくにつれボクのテンションは右肩上がりになってきます。
しかも明日は給料日の金曜日。
今日などは綱を曳かれた暴れ馬のような心境です。
 明日仕事を終えた途端、ボクは興奮が絶頂に達して死んでしまうかもしれません。
なので今日などはなるべく平穏な表情を作って愛想笑いなどを浮かべてはいますが、心中はおろかいろんなところがいきり立っているような状態なのです。
 そして明日はテヘラテヘラと酔っ払いながら誕生日を迎えることでしょう。
 只今の所持金400円とちょっと。
 あさってにボクは37才になります。



 
(2012.4.26[木])

〜丸く伸びる〜
 先日トアル女性と炉辺焼き屋でコッテリと肥ったレバーの串焼きなんかを頬張っていたところ、
”あら?”
なんて顔をしながらボクの鼻の穴あたりを触りシキリにナニかをとろうとしているのです。
しばらくそうやってるもとれなかったのか急にナニゴトもなかったかのように串焼きに戻ってしまいまして。
 ボクはまたアオッパナなんかが飛び出しそれが乾いてクッキーのタベカスのように鼻っ柱にでもこびり付いていたんだろうとさして気にもとめなかったのですが。
 なんでそんなことを急に思い出したかというと、昨日風呂場でなんとはなしに自分の顔を見ていたところ、
すごいですね、
鼻毛が上唇に届くか届かないかぐらいのところまで垂れ下がっているんです。
きっと丸まって伸びていたのがなにかの拍子に解かれてしまったんでしょう。
 試しにフンっと鼻息を出したところ、風にそよいでさえいます。
そよぐ鼻毛、もう鼻毛の域を脱していまして、鼻の穴から生えている髪の毛ですね。
 そんなことをしている時に、先日の一件が思い出されたというわけなのです。
 まあ、アオッパナと長い鼻毛、どちらが恥ずかしいかというとどっちもどっちではありますが。
 みなさんも気をつけましょう。
丸まっているものって伸ばしてみると驚くほど長いんですよ。
(2012.4.25[水])

〜四季のありがたみ〜
 雨が続いてたせいかコトノカ今日の快晴が嬉しく感じられます。
寒さに飽き飽きしていたせいか半袖を着ているだけでウキウキしてきます。
なんなら目の前の川にうわっと飛び込むこともヤブサカではないのですが、ボクがよくても一応回りの目というものがあるものでそれはやめておくことにします。
 正反対のこれとまったく同じ気持ちが夏の終わり頃にありまして、暑さに飽き飽きした頃、長袖のジャケットに腕を通す時のそこはかとない嬉しさも捨てがたくもあります。
 ボクのように飽きやすい性格にはやっぱり季節は4つぐらいあった方がいいのです。
(2012.4.24[火])

〜ボクの仕事仲間〜
 同僚のショウちゃんは時々、
”おいマツ、ほれ”
と言ってその日に食いきれなかったオニギリなどを無造作に投げてよこしてくれるのです。
 オレは犬か、と思わなくもないのですが、いつもお腹を空かしているボクはありがたく頂戴するのが常なのです。
 他社のドライバーで仲良くさせてもらっているイトーさんなども、トラック同士すれ違う時わざわざボクを止めまして、
やっぱり、
”おいマツ、これ食え”
とスキンヘッドのコワモテには似合わぬお菓子の包みなどを手渡してくれるのです。
 ちょっと前もいつものように前方からイトーさんのトラックがゆっくりと近づいてきてボクのトラックに寄せまして、
”マツ、ほれ”
とよこしてくれたのは、
魚肉ソーセージでした。
 オレはネコなのか。。。
と思わなくもないのですが、
"食えるものはもらっとけ”
と死んだ母(まだ生きていますが)の遺言通り、ニッコリ笑って5秒後には食べてしまうのです。
 時々自分から、
”今日はなんかないの?”
とショウちゃんにすり寄っていく時もあるのですが、
そうすると決まって、
”いつもあると思うな!”
と場違いなほどブサイクに怒るので、最近ではなるべく自分からは催促しないようにしています。
(2012.4.20[金])

〜アクビばかり〜
 雨が降る前というのは体調からわかります。
特に台風のような大きな低気圧が近づいている時などはヒトシオです。
ずっと眠い状態というのでしょか、セックスの後の脱力感に似てなくもありません。
食事の後のしばしの放心状態。
読み終わりたくない本を読みきってしまった後の一抹の寂しさ。
そんなような鬱々とした状態がずっと続くのです。
”なんだか今日はやたらと眠いなぁ”
なんて思っていると、夕方から雨が降ってきたりします。
今日がまさにそれでした。
 疲れがとれない時こそ思い切ってジョギングに出てヤっと汗をかいてしまいますと逆に疲れがとれたりするもので、今日も重い体に言い聞かせエイっと走りに出たのですが、今日はそれが裏目に出てしまったようでなんだか仕事前だというのにバテてしまったようです。
おかしいなと思っていたら夜になってパラパラと雨が降ってきました。
”あぁ疲れじゃなかったんだ”
とその時に気づいたのです。
 
 こういう日は寝ても寝てもアクビばかり出るもので、ボクのゴマアザラシのようなこのつぶらな瞳も常に潤んでいまして、一見泣いていたように思われてしまいそうなのですが、アクビばかりをしているだけなのです。
 たったこの4行だけでも3回のアクビが出ました。
 
 あ、またアクビ。
 
 なんだか今夜は消え入りそうなほど弱っているボクがいます。
誰にも会わずどこかへ身を隠したい。
 死期を知った野良猫の気持ちがわかるような気がします。





 

 
(2012.4.19[木])

〜夫婦って。〜
 なかなか夫婦というのも大変なんですね〜。
長く旦那さんと冷戦状態にあるという知人の女性なんですが、
”労災で死んでくれればいいのに”
と冗談とも言えない口調でおっしゃる。
物騒なものです。
 ハッピーでたまたま隣り合わせた女性と親しく話すことがあるんですが、みなさん一様に旦那さんのことを聞くと、思い出したくもないことを思い出したかのようにテンションがガクンと一段下がるんですね。
みなさんさして年齢もいってないまだまだ夫婦としては若い世代なのにね。
 不倫が蔓延するのもわかるような気がします。
 ボクは不倫は否定はしませんが。
とある芸能人が、
”不倫は文化だ”
と言って話題になったことがあります。
とある偉大な詩人は、
”結婚は恋愛に対して垂直に立つ”
と仰っています。
結婚は恋愛の延長だなんて夢見ているのは野暮なことなのでしょうか。
もちろん幸せにやっているご夫婦もいるとは思いますが、でもその実、外から見る他人様のことなんて、芝生と同じ理論でわかったものではありません。

 ここでもの言うのは宗教観なのではないでしょうか。
例えばイスラム社会では不倫はおろか、他の男性と食事するなんて考えられないと言います。
どんな男性だろうと妻は一生尽くさなければならない。
つまり選択肢がないということなんですね。
表があるから裏が存在する。
知らぬが仏。
この道しかないという社会では不幸も幸も現実という一元しかないということなのでしょうか。
それを教えてくれたムスリム(イスラム教徒)の女性なんですが、ボクと不倫関係にありました。
敬虔なイスラム教徒の彼女ですら日本に来たらある種開放されてしまうほど日本は開かれているのでしょうか。

  ”生きながら焼かれて”、”切除”という2冊の本があります。
これらはシスヨルダン、そしてセネガルなどのイスラム諸国の実情が書かれたある種暴露本です。
"生きながら〜”は結婚前に男性と肉体関係を持つと家族の手によって焼き殺されるという風習が今もなお残るという話。
”切除”は、昔から伝わる割礼儀式。
いわゆる女性器切除、つまりクリトリスをまだ小さいうちに切除してしまうという話。

 このような極端な国から比べると、この無宗教、もしくは多神教の日本の無秩序な性社会もマシという観があります。
”労災で死んでくれればいい”
なんて願うのも、グっと視界を広げてみると、かわいいものではないですか。
 今なお悪習が残るイスラム諸国から比べると、女性が強い日本の社会というのも、ある種健康的と言えます。


 
(2012.4.18[水])

〜トミー様〜
 ボクは仕事の時間調整などで事務所に戻りますと、大体パソコンの前に座りまして、日記を更新しましてメールをチェックしまして(ほとんどありません)、あとはブックマークしてあります友人知人のブログ(2、3人ですが)を覗いてしまうと、呆気ないほどやることがなくなってしまうのでして、あとはもうただひたすらにyou tubeでトミー様(トミー・エマニュエル)のギタープレイを開きましてウットリと観たり聴いたり一緒に演奏したりしているんです。
 もうあそこまでのレベルに達してしまうと、ギターではなくてそれ自体が一つの音楽になってしまうんですね。
ギター一本の演奏なんだけど他の音も聞こえてくるんです。
実際他の音も出してはいるんですが。
 ボクは少し前からおこがましくも、
”トミーのようなプレイがしたい!”
と静かにも強く思うようになってしまっているのですが、
ん〜。。。無理だろうな。
   
 ここ最近ハッピーの常連さんのリクエストでもある”湯の町エレジー”という演歌を練習しています。
テンテケテッテン タラリタラリラ ドンドドドッドン というようないわゆる伴奏とメロディーを同時にやるような奏法なのですが。
まさか自分のライブで披露するような種類のものではありません。
でもこういう無駄ともいえる一生懸命が面白かったりするんですね。
 そして弾いてみて思うことは、根本的な奏法はトミーと変わらないんですね。
音階とテンポが違うだけ。
 だから諦めつつも違う切り口から静かにアタックはしているんですが、日本の演歌奏法も弾いてみるとなかなかのものなのです。

 そんなことをしているもので、ボクのトラックはワンテンポ遅れて出庫するもので、そして、
”いやいや道が混んでてさ〜”
なんて言えないところが夜勤の辛いところでもあるのです。
(2012.4.17[火])

〜これからはラジオの時代〜
 大飯原発再稼動の論議が激化しています。
”全原発を停止すると日本は集団自殺するのと同じ”
などとどこかの政治家が言ったことが取り沙汰されています。
波紋を呼びそうなこの過激な発言をあえて言うところに、なんらかの意図があるのでしょうか。
そしてはたしてそれはホントなのでしょうか。
 ついこの前までやたらと報道されていた関東だか東海を震源とする大地震の近年の発生率が70だか80パーセントとほぼ確実に起こるという報道が急にナリを潜めましたが、そんな状況の日本で原発再稼動ははたして妥当なのでしょうか。
 そっちの方が集団自殺にならないのでしょうか。
 もっともっと感情論ではなく、客観的な正しいデータを取上げてほしいものです。
 政治家同士の意見対立に焦点を合わし話題性ばかりを追いかけるテレビの姿勢にはホント腹が立ちます。
 民放の大放送局なんかから情報を得てちゃだめだ。
ラジオの方がよっぽどいい。

 北朝鮮もそう。
19ヶ国から170ほどのマスコミが行ってるんだってね。
北朝鮮にしたら思うつぼだよね。
そして日本も民放各局が競って特派員をよこしてどのチャンネルをつけても同じ内容を同じ口調で言っているだけ。
 あんなの日本から1局だけ行かせてそのチャンネル1つで報道すればいいんだよ。
 国民が律儀にどこかの放送局1つだけしか観てないとでも思っているのだろうか。
 それにしても第一書記だかの金正恩のあの腹はなんだ。
食料支援は個人を肥えさせるためのものではないだよ。

 もうテレビは観ないよボクは。
”ビッグダディー”と”ダーウィンが来た”しか観ないよ。


 





 
(2012.4.16[月])

〜月日は走るように〜
 花の命は短いとはよく言ったもので、日に日にその色の濃さを増し、ところどころ葉桜になりつつある並木をなんとはなしに眺めていますと、先日ラジオで聞いた、
”一日一生”
という言葉が思い出されます。
読んで字の如し、一日を一生にたとえ生きるということ。
明けゆく東の空に望みを託し、暮れ行く西の空に晩年にも似た哀愁を感ず。
そんな風に一日一日を生きてゆけたら、ボクのなんの意味も見出せない刹那快楽の塊のような日々も少しは意味あるものになるのではないでしょうか。
 昨日も夜の川をずっと上流の方までジョギングしていますと、散りゆく最後を惜しむかのように夜桜目当ての花見客の笑い声が暗がりから聞こえてきます。
 無機質な蛍光色ではない肌色の光にライトアップされた桜並木が、幻想的に闇に浮かんでいます。
 ところどころ暗がりでは地元の高校生でしょうか、川に降りられる小さな階段に腰かけて肩を寄せ合い愛を語り合っています。
なんて健全で健康的な光景でしょう。
ボクなんかは高校生はおろか中学生の頃から肩を寄せ合うどころか茂みに連れ込み激しくエッチをせがんでました。
人はある程度環境で育つものなのでしょう。
一本のきれいな川がボクの近所にあればボクも少しはマトモだったのかしれません。
嬉しいかな、、、いや、悲しいかなボクの近所は茂みばかりだったような気がします。
だけど茂みは生物にとって必要不可欠なものです。
なんの隠れ場所もないツルっとした護岸工事のなされた河川には魚は育ちません。
。。。なんの話でしょうか。
 
 例えばボクが走るいつもの桜並木の場所でちょうど一ヶ月ぐらい目を瞑ってるとしましょう。
一ヵ月後にパっと目を開いた時にはそこにはキッカリと一ヶ月分の季節の移ろいがありまして、きっと草木も花も今とはまったく別のものになっていることに驚くことでしょう。
普段の少しづつの変化にはなかなか気づきにくいものなのですが、ボクはなるべくそういったささいな変化に敏感になっていたいと思うのです。
 そうでもしていないとボクの一ヶ月などはまったく油断も隙もありゃしないほど無意味でおおざっぱに過ぎ去ってしまうような気がするからなのです。
 
 驚いたことに先週のライブ”録会”〜のんだくれナイト〜から一週間が経つのですね。
遅ればせながらご来場頂いたみなさま、ありがとうございました。
(2012.4.13[金])

〜のんだくれ 春〜
 よく、
”開花から一週間が満開”
などと言いますが、ボクが毎日観察している工場の敷地内に立つ一本の桜なんかは、おとといあたりに開花したと思ったら今日なんかは満開の笑みを浮かべています。
よほど日当たりがいいんでしょう。
 産まれて落ちて数分で歩き始める小鹿の成長を見てるようです。

 いよいよ明日は愛すべきイベント”のんだくれナイト”in 新横浜ベルズです。
 ひさしぶりの共演者、ハギンズビーのスタッフ、そして毎回来てくれるみなさんに会えることがとても待ち遠しいです。
 今回は録司さんサイドから連絡が入りフライヤーが用意されました。
 ボクは出かけるたびにポケットに2、3枚突っ込み、小田原の楽器屋さん、行きつけの店、取引先のあのコ、会社の同僚に配って歩いてました。
 ああいうものがあると、なんとはなしに背筋がビっとします。
録司さんのハカライに感謝です。
 
 ”のんだくれ”の次の日日曜日は鶴見のトップスというライブハウスにライブを観に行きます。
 ボクの心の拠り所”焼き鳥屋ハッピー”のマスターのバンド”バクシャリーズ”によるライブです。
  
 ちょうど今週末と桜の満開が重なってしまい、桜とは無縁の週末になってしまいますが、移動の電車の窓からチラっと見える満開の桜を楽しむ、そんなわずかながらの花見もなかなかいいのではないかと思っています。

 っつーことで明日お会いしましょう。
 
 春です。
(2012.4.6[金])

〜真夜中のギター教室〜
 ごくごく稀に夜勤が早く終わる時があります。
そんな時はボクは決まってカケッコでハッピーに駆けつけまして、大体深夜の1時から朝方までグデグデとガットギターを片手に演歌を歌いながら酔っ払うのが早上がりの時の密かな楽しみになっています。
昨日がまさにソレでして。
 ちょうどギター仲間でもある常連のヤナカさんもたまたま居まして、しかもちょうどその日が近所のギタースクールへの入会の日だったらしく、50を半ばにしての入学を祝しての乾杯と相成りました。
 そして今日は、
”急いで中途半端なギターを買って後々後悔するのもなんだから”
と、ボクの遊んでいるギターをしばらく貸すことになりまして、出番がなく拗ねていたギブソンJ-40のホコリを拭い新しく弦を張替え硬さの違うピックを三種類ネックに挟み、ハッピーに届けてきました。
 これでちょうどボクの手持ちのギターが全部出払ったことになります。
TAKAMINEのエレアコも知人のミュージシャンを目指す息子に貸してあります。
 ギターは安くないんでね、しかもせっかくのギターを眠らせておくのももったいないので、回りにギターを始める人がいるとボクはどんどん貸して弾いてもらうことにしています。
 ボクの回りでは静かなギターブームが来てまして、急にボクも練習なんかしちゃっているのですが、それはみんなには黙っています。 

 
(2012.4.5[木])

〜弘法山の提灯〜
 去年のこの時期は、毎年桜の時期に合わせて灯る弘法山の提灯の灯りもなく、そんなことも手伝ってか震災のショックで山も夜桜もいつになくひっそりしていたような気がします。
 そんな中、ある女性と漆黒の闇の中に咲き誇る桜を観に行ってみようとなり車で山の中腹に伸びる桜の名所に行ってみたのですが、闇の暗さにリンリンと桜のピンクが輝いていると思いきや、やっぱり照明のない夜桜はただの樹木の一種以上でも以下でもなく、まったく闇に負けてしまっている桜が、かろうじて暗闇の中でボンヤリと風に揺れている姿に、なんとなく場末のストリップ劇場の楽屋を覗いてしまったような一抹の寂しさを覚えた記憶があります。
 その時は5秒ほど形式的に夜桜を眺め、さてどうするべかといきなり何もすることがなくなり困ってしまい、
”まあそーいうことだから”
と夜の闇に紛れアオカンでもと考えたのですが、その時期の夜はまだまだ冬のソレでして、体が本格的に冷える前にどちらからともなく停めてあった車に戻った短い夜桜見物でありました。

 それがちょうど一年前のデキゴトなのですが、今年の弘法山は嬉しいことに提灯の灯りが戻りまして、ズラっと山道に並ぶ夜の提灯は、遠目に見るからこそのなんともいえない不思議な魅力で二年ぶりに夜の弘法山を飾ってくれています。

 これから何年もこの時期には弘法山に提灯が灯るのでしょうが、当たり前な風物詩と信じた提灯がたった一度だけ途切れた去年のことが、ボクの中では震災のショックの隣りにいつまでも残ってゆくのだと思うと、今もボンヤリと山肌に灯す提灯に、今までにない感慨の念が浮かびます。
 当たり前のことが当たり前に行われること。
そのありがたみはいつまでも持ち続けていきたいものです。
(2012.4.4[水])

〜災害におけるシュミレーションという備え〜
 時折突風がそこいらをかき回している音が聞こえます。
事務所のどこかがひっきりなしにきしむ音が聞こえるのですがはたしてボクはここに居て大丈夫なのでしょうか。
 なんだかここ最近ロシアンルーレットのような日本です。
災害が起きる際、今自分がどこで何をしてるかで生死が別れるような気がします。
本来ならば万全を期した状態で有事に挑みたいのですがそうもいかないのが自然災害というものです。
 早メシ早グソとは言いえて妙と言えます。

 交通機関などもかなり乱れているようですがみなさん大丈夫でしょうか。
 トラックの横転事故も相次いでいるようでニュースを観たインドネシア人のマラが心配して電話をしてきてくれました。
 
”もしオレが死んでもしっかり生きていくんだよマラ”

 ”いやだ。わたしも死ぬ!”

 なんだか、グっとくるほどかわいい会話です。

 今日は夜勤なもので、夕方までの時間はおとなしく本を片手に布団の中でヌクヌクしていました。
 先日ずっと読みたいと思っていた本が見つかり、起きてはパラパタやり、眠くなってはそのまま目をつむり、そんなことを28回ほど繰り返していたらあっという間に読み終えてしまいました。
 ひさしぶりにグっと心をもっていかれるほどのイイ本に出逢えまして、残りページが少なくなってくる時のなんともいえない残念な心境も随分とひさしぶりのように感じられました。

 ”羆撃ち”というタイトルで、北海道の山にこもり猟を生業する著者とその猟犬との心の通じ合いがなんともいえず、なんともないところでグっと涙腺が緩んでしまい困る本です。
自然を五感で感じる描写も見事なものです。

 ボクの最終的な夢は、どこか南の方の無人島で全裸の原始的生活なのですが、
そうだな、そこに一匹の愛犬がいるだけでだいぶ違うものになるだろうな、としばらく虚空を見つめ静かにホクソエムのでした。

 さて、外が洗濯機の中のようになっていますが、仕事に戻らなければなりません。
 もしもこの強風でボクのトラックが横転するようなことがあっても心配いりません。
 横転した力を利用してそのまま一回転させ元の体勢に戻せるシュミレーションはできています。
 なので心配なさらずに。





 
(2012.4.3[火])

〜ホクソエム〜
 桜はまだか。
今日でだいぶつぼみも膨らんだのではないでしょうか。
 ジョギングをしてますとだいぶかく汗の量も増えてきました。
寒風吹きすさぶ頃なんかは走るほどに露出している耳や鼻っ柱が冷たくなって困ったものです。
そしてそのためよく風邪を引きました。
健康のために走っているんだか走らない方が健康なんだかわからなくなってやっぱり困ってました。

 先週末は相変わらず呑んだくれてまして慢性的な下痢に悩まされてこれまた困っていました。
我ながらよく困るヒトです。
 それでもグっとケツの穴に力を入れてよくもまあフラフラしていたものです。
 昨日は小田原のツーファイブという楽器屋さんに行き何本かギターを弾いて遊んでました。
 もしいい出会いがあればと財布の中に有り金全部を突っ込んで出かけたのですが、ハっとするような鳴りのギターは0が一つ多いお値段なのですね。
 でもボクのJ-200ほど鳴るギターにはお目にかかれなかったことで静かにホクソエムことができただけでも行った甲斐があったというものです。
 せっかくなので備品を少々購入。
今週のライブで早速お披露目する予定です。
ホント大したことのない備品ですが。

 昨日はいろいろと歩き疲れて座ってシッポリ呑みたくなってしまい当初行く予定だった立呑み屋には行かなかったのですが、とても焼き鳥のおいしい炉辺焼き屋を発見したので、これでまた一つ小田原に行く理由ができてこれまた静かにホクソエムのでした。
我ながらよくホクソエムヒトです。

 下痢は今日になり幾分おさまりました。
(2012.4.2[月])


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