昔の日記はこちらから(2002年10月〜2009年12月)

2013年11月の日記

〜湯で瞑想〜
 行楽の秋というよりももう初冬。
洗濯物が折り目正しく乾いている。
 油断ばかりしているボクは、きっとこのままの勢いでアレヨアレヨという間に新しい年を迎えるのだろうことがわかっていて、ちょっと焦る。
 ライヴという”引っかかり”がないと、ボクは果てしなく犬のように目の前の欲を追いかけまわし、なんら建設的なことを成し得ないままに時間を浪費してしまう。
 最近やっと”ジンセイのスピード”というのがわかってきたような気がしている。
もうちょっと急いでコトを進めていかないと、きっとアレヨアレヨという間に終わってしまう。
 とりあえず温泉にでも行って、そこのところを考えてみようか。
2013.11.24[日]

〜横須賀〜
 朝4時30分起床。
5時の空はこれから来るであろう朝の気配など微塵も見せず煌々と星が輝いている。
ボクのわかる唯一の星座オリオン座がウソのように空に張り付いている。
 今朝は横須賀で朝焼けを拝む。
楽しみだ。
 
(2013.11.19[火])

〜星に見送られ〜
 いつものように地味に一週間が始まる。
夜中の3時。
多分世の中が一番静かな時間。
 ちょうど朝焼けの頃に今日の目的地に到着する。
異国の地の朝焼けを見て、
”おぉ。。。”
となる。
これはホントに毎回。
毎回同じようなモノを見てるんだろうけど、
毎回、
”おぉ。。。”
となる。
 曇りの日などはこの、
”おぉ。。。”
がないので、なんだかぼやっと一日が始まって踏ん切りがつかない気持ちになる。
 煌々と照る星を見て君を想う。
(2013.11.18[月])

〜遠く遠く思いを馳せ〜
 フィリピンの台風被害。
前にお世話になった家族へ確認したところ、家がそっくり無くなってしまったとのこと。
”今何が一番必要?”
と聞いたら、服と食べ物とのこと。
ただ家が無くなってしまったので、今は送り先の確認をしてもらっているところ。
 東日本大震災の時もすぐにボクに連絡をくれ、ボクの安否を家族のように心配してくれた異国のかつての家族。
 今はただ連絡を待つのみ。
ボクにできることはささいなことかもしれないけど、生きてるから何だってできる。
(2013.11.13[水])

〜丹沢謌山〜
丹沢謌山無事終了!(漢字多っ!)
天候が不安定の中、お越し頂いたみなさんには頭が下がる思いです。
ありがとうございました。
風邪など引いていませんか?
そうですか。
よかった。
ボクはすっかり風邪を引いてしまったようで昨日は終日背中が寒く不安で涙ぐんでいました。
だけど今朝恐る恐る起きてみれば発熱もなくホっとしているところです。
ただ体に力が入らず生命力が弱っているのをいつになく感じるので、今日は長袖を着ています。(当たり前だ)

 改めて、丹沢謌山関係者のみなさま、出演者のみなさま、お疲れ様でした。
なんと言ってもライヴ後実行委員のカジさんと交わした握手、手の大きさ(ホント大きかった)が忘れられません。
彼の呑み屋でのつぶやきがここまで育ったんだからね。
公私共に仲良くさせてもらっている彼の苦悩、がんばりを見ている分、彼のライヴを観る姿、出演者に気をくばる姿、リアカーを押し片づけに追われる姿が1つのライヴを観ているようでした。
 昨日も会って少し(たくさんですが)お酒を呑んだのですが、
”いやいや松平くん。お疲れ様だったね。ありがとう”
だなんて言ってくれるのですが、なんのなんのその言葉はそっくりあなたにお返ししなければなりません。
こーじという体の一部のようなパートナーを失って、自分の存在意義、価値などをすっかりなくしていたボクに、
”松平くん、たばこ祭の件なんだけどさ〜”
などといつもと変わらぬぞんざいな口調で声をかけてくれたことがボクの再スタートをどれだけ後押ししてくれたことか。
 
 あ。。。最近すっかり涙もろくなってしまいました。
涙とオナラが同時に出てしまいました。
失礼。

 ボクにはいくつかの節目に出会うこの一年でした。
8月3日。
そして今回の丹沢謌山が大きな節目だったかな。
こーじを亡くしての初めてのステージが一年前のこのイベント。
恐怖と覚悟が入り混じった何もできなかった一年前。
しがみついてやっと手触りを感じ始めてきた今回。
 無我夢中で地上まで届いてきたんだから、あとは助走をつけて飛んでいくだけ。

 ”ホントもうお前いないんだね”
と強まる絶望の中を、やっと笑って歩いて行ける気がしてる。

The thrill is gone.

 今回が最後の大きな節目とする。 
 
(2013.11.12[火])

〜孤独な旅立ち〜
 日付が変わる頃にモゾモゾと起きだし誰に見送られることなくヒッソリと出発。
目指すは滋賀県は栗東市。
 ボクは別れ際のバイバイとか、見送られている間とかがなぜだか苦手で、この”ボクが言わなきゃ誰も知ることのない”この地味な出発の方が心地いいのです。
 元来が甘ったれにできているのボクは、
”あなた行ってらっしゃい”
などと石を両手に背中を見送られてもいちいち悲しくなり、
”今日は行かねーだ”
などと言いかねないので、オトナでいるためには独りでいる方がいいのかもしれません。
 さて、誰にともなく行ってきます。
(2013.11.7[木])

〜今日のデキゴト〜
 終日雨がふったりやんだり。
運行業務はお休みだけど、半日スコップを持って駐車場のデコボコをならす土方業務。
 14tの砂利がダンプカーから放り出され、ボクらはセメントと混ぜたそれらをスコップを使い穴を埋め固めてゆく。
 トラックのタイヤはハンドルを切ると土を掘ってしまう。
2年に1回この作業をしないと舗装されてない駐車場はデコボコの低い丘陵地帯と化してしまう。
そして雨が降るとそこが池のようになる。
酔っ払った帰りボクはよくそこを歩いて靴を汚してしまう。

 火照った体に雨が心地よい。
”明日もやれ”
と言われたら、ボクは不貞腐れてどこかへ行ってしまうのだけど、今日だけとわかっていることに対しては、ボクは動物のように夢中になってしまう。
そして慣れていない単純作業はヘトヘトになる。
でもボクは肉体的ヘトヘトが大好きなのでそう苦でもない。
なによりやるほどに効果が見てとれる作業は爽快でもある。
 手ごたえ、成果の見えないモノをやり続けることこそ才能なのかもしれない。
鈍感さもあきらめの悪さも自己への錯覚も才能。

 思ったより作業がはかどり早々に切り上げる。
泥のような体にお風呂が嬉しい。
汚れていればいるほどお風呂が嬉しい。
頭までお湯につかり魚の気持ちになってみる。
今日はうまくいかなかった。

 風呂からあがりちょっとのつもりで布団にくるまる。
寒ければ寒いほどに布団が嬉しい。
頭まで布団を被り母の母胎にいた頃を思い出す。
今日もうまくいかなった。

 ちょっとのつもりが2時間ほどの長い昼寝。
生涯3本の指に入るぐらいの気持ちのいい昼寝だった。
 起きた時嬉しかった。
(2013.11.4[月])

〜10の中の1〜
 昨日は今月10日(日)に迫りました秦野の野外フェス”丹沢歌山”のリハ。
たばこ祭に続き今回もバンドでの出演。
昨日はたばこ祭以来のなおやとはなさんとの再会。
 なおやは”コバチッチ”のベーシストでちょうど今回のライヴの前日に新横浜ベルズで熱いライヴを控えている。
はなさんははなさんで自身のバンド”フラワーヒップス”のライヴを今日明日と横浜と渋谷で控えている。
ホントだったらそれどころじゃないはずなのに、いつも二人は着物の下に汗をかきながら(洋服ですが)涼しい顔でボクのオファーを快諾してくれる。
ボクはボクで自分のことだけを考え、
”あ〜したい。こ〜したい”
と言ってるだけでいい。
具現化は二人がしてくれる。
 ボクは彼等のプレイより先に人間性に惹かれてるのかもしれない。
とても大事なこと。
こーじとボクのスピリッツが関係性において一番大事にしていたこと。
 キャリアやスキルを積み重ねているヒトほど柔軟なのかもしれないね。
二人を見てるとそんなことを思う。
 
 アレンジなどで、ボクが納得してても二人が納得してない時があると思う。
その逆の時もあれば、二人が納得してても一人がまだ飲み込めていない時だってあると思う。
3人集まれば3つの世界があり、それぞれの感性が別々のところから一つの楽曲へアプローチしてくる。
昨日はやっと、同じぐらいの温度になれたんじゃないかな。
なによりリハ後は3人共セックスの後のような晴れたいい顔をしてた。
 やっと発射できたんだ。

 昨日は演奏中、なおやがボクの前を横切った。
あまり動かない彼には珍しいこと。
面白い場所で弾いてるなと思ってたら、その場所が一番他の楽器の音が聞きやすかったとのこと。
ボクもマネして違う場所で弾いてみたらまた違って聞こえる。
これは些細だけど大きい発見。
表を示してあげなきゃ裏もとれない。
相手の音をとることばかりを考えていたけど、相手に音を聞かせてあげることを学んだ。
 よくアゲアシばかりをとるヒトがいるね。
ボクはそういうヒトが嫌い。
先ず自分を示せ!と思う。
ボクは音楽に限ってはそういうタイプだったかも。
スタジオでは3歩動くだけで音が違って聞こえる。
はなさんは動けない。。。
ドラムはそういう意味では特殊な楽器だ。。。

 10やっているとやっと1の発見、成長に巡り合える。
この1が決定的なものになる。
 昨日はやっとその1に巡り合えたような気がした。
2013.11.3[日]

〜個人的1周年〜
 カレンダーを二度見してしまいました。
11月なんですね。
感慨深い節目です。
 去年の11月は生きてるようで死んでいました。
こーじとりえちゃんの追悼ライヴ2daysを終えたらプツリと音が聞こえたかのように気が抜けてしまい、それでも働き続けなければならない、生き続けなければいけない毎日を呪っていたように思います。
 しかも去年は11月から仕事がガラリと変わり、息をするだけでもやっとの状態なのに、慣れない中距離の仕事が始まり、何も準備のないガランとしたトラックに閉じこもり、何時間かかるかわかりもしない異国の住所を片手に、茫然としてたことが思い出されます。
一日を乗り越えるのにやっとで、気持ちとは関係なく仕事が段取りされてゆく。
 ちゃぶ台をひっくり返したかの如く強引に風景が変わってしまったのが去年の11月。
よく事故を起こさなかったものだと思います。
 あれから一年。
ヒトが変わり慣れるのには十分な時間なんですね。
仕事に関しても音楽に関しても人間関係に関しても随分変わったと思います。
 どんな辛い仕事であろうと”生きてこそ”
どんな困難でも”生きてこそ”
金がないのも”生きてこそ”
死にたい気持ちも”生きてこそ”

 よく”強いね”
と言われますが、その都度”府に落ちない気持ち”になります。
違うんだ。
それより他がなかったんだ。
 ボクは自分をよく知っている。
大丈夫なフリがうまくて、大丈夫が通ってしまう。
大丈夫じゃないと心が泣いているんだけど、どうやって伝えればいいのかわからないだけ。
いつもの接待笑いを浮かべ、大丈夫な自分を演じてみる。
ホっとしてくれるようみんなに気を遣い倍疲れる。
 あれから一年。
今では鼻歌を歌いながらどこまでも走り、去年の今時分の痛い酒の味も忘れ去られようとしてる。
 やっとウソにホントが追い付いてきた。
大丈夫。
同じ言葉でも去年のそれとはだいぶ意味が違ってきている。

 これからもいろんな困難があるんだろうけどね。
去年の生々しい辛さが鈍痛のように残っているから、屁でもない。
望むところだ。
笑って超えてやる。
no more hard times who knows better than I.(hard times by レイチャールズ)

意味わかんないけど、そんな気持ちです。

 
2013.11.2[土]


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