昔の日記はこちらから(2002年10月〜2009年12月)

2014年12月の日記

〜よいお年を健康で〜
ホントのことを言ってしまうと12月の中旬から体調が絶不調で、忘年会続きのここ数日が近ずくにつれ焦っていたのですが、昨日でやっとその賑やかな夜も納めることができ、今日になってフの抜けたカラのようになってしまっています。
ただどれもが今のボクには大事な仲間との忘年会であり、お世話になったヒト、大好きなヒト、今年出会ったヒトとの一席だったもので、多少無理してでも今年最後の杯を交わすことができ、今日などは体調とは裏腹に晴れやかに床に伏すことができています。
昨日は何年ぶりかのスタジオ”あぢと”関係、スピリッツ関係の面々が集まる今年最後の忘年会があり、久しぶりの再会に嬉しくもあり、こーじだけが足りない悲しさみたいなものも密かに感じてはいたのですが、昔話というよりも”これからの話”に花が咲き、しみじみと楽しい時間を過ごすことができたのは嬉しかったです。
とりわけコバチッチのコバさんとは互いのウンコの話で盛り上がり、となりのテーブルではコード理論的な話が飛び交っているそばで、情けなくも頬が痛くなるほど久しぶりに笑ってしまいました。
今回は笹田さん、奥田さん、なおやと、スピリッツを支えてくれた歴代のベーシストが揃ったのもボク的には感慨深いものがあり、笹田さん奥田さんと渡り歩いてきたあのベースがなおやに行き着いたのも、こーじがいれば感慨深さもヒトシオだったはずです。
昔は奥田さんをリーダーとし、こーじとボクにウンコのコバさんの4人でマウンテンバイクチーム”魂輪”(スピリン)を結成し、少年のような顔をしよくツーリングに出かけたものです。
こーじはいないけれどまたこの3人で来年は楽器を持ち何かやってみようと話が盛り上がり、年明け早々とりあえず何も用意せずスタジオに入ってみることになりました。
まったくビジョンが見えないこの3人の音楽性が楽しみでもありドキドキでもあるのですが、きっと新しいモノって、こういう化学反応的な部分から生まれるのかもしれませんね。
ユニット名はそのまま”スピリン”。
来年の話ができる仲間っていいものですね。

今年、そして今までの道のりは、ホントたくさんの仲間に支えられての今であり、きっとこれからも景色が変わるだけで誰かの肩を借り、耳を傾け、背中を押されることに変わりはないのでしょう。
ただ最近強く思うのは、この中の誰一人欠けても今のボクはないということ。
無駄なことなんて何ひとつないとよく言うけれど、ホントそう。
苦労も喜びもひとつのパッケージで、やっぱり泣いた分、笑える日が必ず来る。
笑顔が泣き顔よりひとつでも多ければラッキー。

今年も泣いた分、嬉しい出会いにも恵まれました。
一言で言うと”助けられの年”ですね。
ボクの歌が、そういったかけがえのないモノに対してのせめてもの報いになれば本望なので、やっぱりボクはボクのたったひとつの方法を大事に精進していくしかないのです。

ありきたりではありますが、なんやかんや言ってみたところで、
”風邪を先ず治せ”
と言われてしまえばグーのネも出ません。
健康が一番と言うことは大晦日に天井のシミを数える身にはシミジミ胸に刺さります。
くれぐれもよいお年を健康で迎えてください。
そして明日からまたひとつよろしくお願いいたします。
2014年、さようなら。
(2014.12.31[水])

〜仕事納め〜
今日で仕事納め。
港区で荷を解けばあとは空車で帰るのみ。
同業の仲間などは、
”まああとはボチボチ下道で帰るべーよ”
なんて気の長いことを言うんだけど、ボクはこうなったら気持ちは先に行っていて、最短距離を最速で帰る。
ボクのこの極端なペース配分は実に滑稽で、1分でも早くムキになって帰ったはいいが、次の予定まで時間が空きすぎ、犬のような顔をしながら河原で時間を潰していたりする。
前などは9時過ぎのフライトの便なのに、5時前に成田空港に着いてしまい、まだ開いていないエントランスの回りを野良犬のようにウロウロしていて保健所を呼ばれそうになったこともある。
思うにボクは1人で行動すると時間的な客観性が全くなく、横に1人でも理性的なヒトがいるだけで初めて時間を逆算して行動ができるようだ。
免許の試験には後輩を付き合わせ、更新の都度こーじに付き添ってもらってたぐらい昔から1人では何もできなかったボクだから、急に、
”はい、1人でやってみなさい”
と言われても、ボクは怯えて極端な動きしかできないのが今更ながらに悲しい。
だから明日の行き先次第で夜のうちに距離を稼いでしまうトラックの仕事は妙にボクの性格と合っているのかもしれない。

今年もホントいろんな町に行きたくさんの距離を走りました。
今夜からしばし忘年会のヒトとなります。
みなさんも呑みすぎて体調を崩されませんよう。
メリークリスマス(遅っ)
2014.12.27[土]

〜温かいクリームシチュー〜
思い立ってクリームシチューを作ってみた。
野菜を切って具を硬い順に煮てルーを溶く。
ただそれだけのことなんだけど久しく料理なんてしてなかったから鼻歌なんかが自然に漏れる。
エプロンでもしてたらイッパシの家庭の主婦のよう。(気持ち悪い)
きっと凍える君にしてあげたかったことなんだね。
もうそれは叶わないから、君の口となり手となり自分で食べた。
君の苦悩もボクの食後のようにケロっとさらってあげたかったのだけれど、ボクが力になってあげることはもう何ひとつないんだね。
だからせめてもこんな寒い日には温かい物を食べさせてあげようとクリームシチューを作った。
(2014.12.26[金])

〜2014〜2015〜
あれですね。
ライブの予定がないと暇ですね。
スケジュール的にはニッチモサッチモいかないほど詰まってきているのですが、特別その日のために何を用意する必要もないわけで、ライブ1本入っている時の精神状態とは雲泥の差があります。
手帳を見てみると今年は1月18日が1発目のライブでした。
まったく内容は覚えていないのですが、苦行の如く顔を青くさせていたことだけは確かです。
自分のことは自分が一番知っているので言わせてもらうと、
”.よくまあ、がんばりましたね”
の一年に尽きます。
登山なら、
”そこに山があるから”
などと言えるのですが、あんな心痛な面持ちでライブを控え、そこに何があったのでしょうか。
きっと”歌うこと”しかなかったんですね。
みんなのように夢が明確にあるわけでなく、さりとてじっとしていれば自分の存在が透明のように感じてしまう。
残された灯火を細々と灯し続けるがためにたくさんのヒトの力を借りた一年。
”夢は紅白!”
なんて無邪気なことは言えなくなったかわりに、より深い感謝の思いの一年を過ごすことができたことは、重ね重ね感謝の思いなのです。
今もまだそうなんですが、
”自分はやれるぞ!”
という思いと、
”.やっぱりだめだー”
という思いの繰り返しの日々。
自分の努力がまだ足りていないのか、元々こんなもんなのか。。
ポッカリ空いた胸の傷口は血が固まり皮膚が再生されると思いきや、ポッ カリ空いたまま落ち着いてしまった。
時々吹く風にヒュルリヒュルリと傷が鳴く。

今年はホントいろいろありました。
最近一年の長さがわかってきたような気がしています。
ここからが”あっという間”と感じ始めるのでしょうか。
限りある時間だからこそ、いよいよ、
”やるべきこと”
を厳選しなければならないのかもしれません。
抽象的な言葉に逃げるのではなく、具体的なところから具現化する。
先ずは元旦におばあちゃんに会いに行って愛情たっぷりのハグをするところから2015を始めよう。
大好きなヒトを思いながら歌を書き、ヘソの下から声を出し来年も歌っていこう。
誰にも歌えない歌を歌ってやるんだ。
ボクじゃなきゃだめなんだ。
1日たりとも無駄にするもんか。
(2014.12.25[木])

〜五感〜
 夢を見た。
家を出ようとしてたらパスポートがない。
どこか外国へ行く予定だったんですね。
引き出しを開け散らかすわカバンをひっくり返すわ、それでも見当たらない。
はて、と思う。
そもそもパスポートの期限などとっくに切れてるはず。
ならばパスポートが出てきても飛行機には乗れないではないか。
なんでそんなこと今更になって気づくのか。。。
バカかオレは。。。
トホホ(古っ)

という夢。
 その外国はどこだったのかはわからないんだけど、やたらと焦っていたな。
 目覚めのカレーライスがおいしくて目を瞑って噛んだ。
1つの感覚を閉ざすと他の感覚がその分研ぎ澄まされると信じている。
バフバフとエンストのような屁が出て食事の邪魔をする。
そこを研ぎ澄ませたわけじゃない。
ボクの体は正直すぎて品がない。
食べたらすぐに出したくなる。
なんだか押し出しているようで少し恐縮する。
名誉のために言っておくが、食べながら出したことはない。
出てしまったことはある。。。
 朝日を正面に受けながらヨガをする。
朝日というのは、時に暴力的だ。
太陽は直に見てはいけないという。
よく考えるとすごいことだ。
そんな星、他にないもんね。
朝日を避けると寒いんだけど、正面に受けるとうっすらと温かい。
太陽はすごい。

 先週のライヴからずっと体調を崩していたので昨日は一歩も外へ出ずしっかりと静養にあてた。
おかげで蓄積されていた疲れもとれ、普段の睡眠不足も解消された。
ホントに正直な体だ。
無理をすればヘソを曲げる。
少し休めば持ち直す。
ウキウキすると熱が出る。
緊張すると下痢をする。
屁が臭い。

 今週末から忘年会が続く。
そして毎年酒むくれの顔で正月を迎える。
 ニュースを見ていても日本は平和だと思う。
取り上げるべきニュースがないのか、連日同じ報道で間を埋めている。
”起きていること”
にトヤカク言う気はない。
”とりあげる側”に問題があるんだと思う。
それは”とりあげない側”とも言い換えられる。

”もっと他にとりあげるべきニュースはあるだろ”
というのがここ最近のテレビの正しい捉え方だと思う。
そういう意味ではラジオはかろうじてマスコミの良識を保っていると思う。
”見るだけ”の感覚に頼らない方がいい。
(2014.12.22[月])

〜2014年ラストBLUES〜
今夜は今年最後のWednesday Blues Night Club in 新横浜ベルズ。
最近何をするにも”今年最後”という言葉が先に付く。
でもホントだからしょうがない。
今回はギターを持っていって数曲混ざりたいと思ってる。
”この曲はこのフレーズ、この感じがなきゃだめなんだよ”
なんて一人で思っていたって何も解決しない。
できるならボクがどうにかすればいい。

実は前回のWBCは思うように歌が歌えなくてしばらく落ち込んでしまっていたんだ。
理由は2つあって、1つは当日昼にニンニクをたっぷり入れたカレーうどんを食べてしまい、息はおろか体中がニンニク臭くなってしまい、口を開けること自体がすごく恥ずかしくなってしまってた。
だから歌も動きも全てが遠慮気味になってしまい思うようなパフォーマンスができなかったんだ。
自分がニンニクになった気分に支配されてしまってたんだね。
バカみたいな理由だけどホントのこと。
もう1つの理由はごくごく個人的なことで言うのは恥ずかしいから言わないけど(笑)、ヘコむことがあったから。
ボクはヘコむとうまく会話ができなくなるほど塞ぎ込んじゃうのよ。
そんな状態で歌も何もないもんで、歌詞が入って来ずあんなに暗記に苦労したことはない。
あれは歌を歌ってたんじゃない。
歌を追っていた。

そんな前回だったから今夜は思うように歌いたいと思ってる。
やっぱりボクは思うように歌えた時が一番幸せになれて、それだけでしばらく笑って過ごせる。
ブルースの何がいいって、性に合っているから。
時に暴力的で時に女々しくて、マッチョな声で粘着質な歌詞を繰り返す。
なんだか自分の心の中のようで性に合うのかもしれない。
普段皮ばかり被っているからね。
ヒトの言葉で自分を出す方がしっくり来る時もある。
悔いの残さぬ瞬間を。
ニンニクがポイントになる。
(2014.12.17[水])

〜呑んだくれました〜
昨日はスピリッツの今年ラストステージ”録会”〜呑んだくれナイト〜。
よく呑みよく笑った。
洗練されたそれぞれのライブを観ていたらもう一度やり直したくなって困った。
発想が幼稚だね。。
ホントみんな呑んだくれてるわりには一定の緊張感は保っている。
”負けてたまるか”
という気持ちを秘めているんだね。
毎回”ちきしょー”という気持ちにさせられる。
”次はこんなことをやって目にモノみせてやる!”
とシコシコ練習しては当日を見据えてるんだけど、本番になるとアッサリ日頃の成果を放棄してしまう。
ボクの気の弱さは間近で見ているはなさんが一番よく知ってると思う。
ボク”ここ、2回にしましょーか”
はなさん”練習してきたんだべ。4回やるべ”
1回もやらなかった。。。(笑)
ボク”コンガ持ってきてください”
ライブを終えはなさんが一言。
”コンガ使わなかったね”
なんてこともあった。
PAとはフィンガーピッキングの曲は特に入念な音作りをする。
”okok、本番もこんな感じでよろしく”
で、本番その曲をやらない。。
書いてて思ったんだけど、なんなんだオレは。(笑)
最近回りのやさしい目に気づいてきた。
時々自分が嫌になる。
だけどどうやらそういった回りの理解、支えがないとボクは1歩目からいきなり迷子になるようなところがあるから、やっぱり自分では認めたくない部分であっても認めなきゃいけないみたいだ。
言い回しがわかりにくい。。
短を伸ばして長とする。
なりたい自分とホントの自分との距離が途方もない。。

昨日は午前中に投票に行ってきました。
なんだか積極的な一票じゃないところが悲しかったな。
こいつを受からせるものか、というイジワルな一票。
雑踏の中で鼻歌を口ずさむような、わずかなボクの主張。

最近より強く、
”平和を得るにはどうあるべきか”
を考えるようになった。
理念と現実との関係はボクの恋愛観に似ている。
美辞麗句で愛の言葉をささやいてるだけじゃ君をホントに幸せにすることなどできないということ。
理念はみんな一緒なんだよね。
現実論が政治。
”戦争反対”
という文字をよく目にする。
みんなそうなんだ。
誰も賛成など言ってない。
”じゃあどうすんの?”
ってところから書き出さないと、せっかくのその理念も安っぽくなってしまう。
(2014.12.15[月])

〜日記〜
日曜日
久しぶりにまとまった距離をジョギング。
金曜日の深酒、土曜日の忘年会で体が酒臭いので汗でアセトアルデヒドを追い出してしまおうと企むも、北風が冷たくうまく汗をかけない。
ついでにヨーカドーに寄って買い物をするも、レジに並んでるそばから急に汗が吹き出してきてしまい、急いで”ジョギングがてら買い物に寄ったヒト”の顔をするも、それが回りにうまく伝わったかはわからない。
サッポロ一番の味噌味を食べて早々に寝る

月曜日
2時起きでよかったのに1時45分に目を開けてしまった。
この15分が悔しくて悔しくて寝ようか起きてしまおうか15分考える。
間の悪いアラームの音に大人気なくも、
”うっるさいお前”
と声に出す。
”咳をしてもひとり”
という尾崎ホウライの詩が思い浮かぶ。
2時半に名古屋へ向け出発。

火曜日
5時起床。
相変わらず昨晩の酒が残り、起き抜けの麦茶が生理的にうまい。
昨夜一緒に呑んだカツラさんとの会話を思い出す。
このヒトは酔って調子が出てくると横文字を連発して何を言っているのかわからない。
カツラさん
”ビートがバワーオンだぜ〜”
ボク
”カツラさんカツラさん。日本語で何て言うの?”
カツラさん
”ハッピーだぜってことだよ”
ボク
”いや、英語じゃないですか。。”

兵庫行きの荷物を積み込みそのまま出発。
今夜の宿は京都。
ワンカップ片手に今日1日を労う。
会話のない酒もまたいいものです。
今日の分は昨日笑ったから、黙っていても苦にならない。
(2014.12.9[火])

〜冬の祭り〜
 明日は秦野市にあります栄町公園でのイルミネーション点灯式に”The 松本バンド”(仮)の名ギターリストとして出演してきます。(自分で言ってますが)
隣りには”カフェ ド ララ”さんというグランドピアノの置いてある雰囲気のいい喫茶店があるのですが、ここではスピリッツとして一回だけライヴをしたことがあります。
バンドネオンのくみさんを加えたボク、こーじ、はなさんの初めての4人編成で
”楽団 スピリッツ”
と呼んでは照れてたのを覚えています。
 ちょうど秦野での音楽活動の拠点を探していた頃でもあり、もしよければ定期的にライヴができればと思っていたのですが、とても重要な問題が発覚し、結局それが”カフェ ド ララ”さんでの最初で最後のライヴになってしまいました。
”禁酒”のお店だったんです。(笑)

 でも嬉しいことにその後、タバコ祭や丹沢謌山の実行委員でもある小野さんや梶山さんと出会うことができ、今では身に余るようなステージやイベントで歌わせてもらっていることを考えるとつい数年前のデキゴトでも感慨深いものがあります。
 モノゴトは誰も予想がつかない転がり方をするもので、今では梶山さんとは一番の呑み友達になり、小野さんと同じバンドで明日そのデビューを迎えることになろうとは、ホントrolling stonesです。(意味がわかりませんが)

 明日はスピリッツでの出演の打診もあったのですが、それだとなんかこう。。うまく言えないのですが、”The 松本バンド”(仮)というもの、そして明日というものが、ボクの中で違うものになってしまいそうなので、けっこうしつこく考えたのですが辞退させてもらいました。(繊細すぎる。。)
 ただそのスピリッツ枠をそのままそっくりもらい受け、南足柄に住むボクのブルース仲間”河野じゅんや”に声をかけたらすぐに元気のいい返事をくれました。
ありがとうじゅんや。
 タイムスケジュールをザクっと載せておきますと。(時間が多少前後することをご了承ください)
14時頃からが河野じゅんや。
14時半頃からThe 松本バンド(仮)、
点灯式後はハセケンこと長谷川ケンさんがトリを務めます。(夕方頃と聞いています)


 ライヴ前はボクは食べ物は口にしないようにしてます。
でも明日はギターなので、ゲップも歯カスも気にせず、お昼は模擬店を食い倒そうと思っています。(店は食いません)

 まあ、意外と緊張してしまい、隅っこでオシルコかなんかをすすっているのだろうけどね。。
 
 お待ちしてますよ!!




 
(2014.12.5[金])

〜関市の思い出〜
岐阜県は関市に来てます。
東海北陸道の電光掲示板に、
”雪 チェーン規制”
の文字。
一瞬焦ったのですが、ボクはだいぶ手前なので大丈夫。
内陸の標高が高い所ではもう雪道なんだね。
そろそろ冬用タイヤに履き替えるかな。
毎日が、
”明日は何処へ”
という仕事なので、
”急に言われても準備ができてません”
じゃ勤まらない。

関市は刀の町らしいね。
”鵜飼”と”刀”の旗が目に付く。
国道156号線にいるのですが、この道を通りよくこーじと郡上の町を目指したものです。
”長良川でたくさん魚釣ろうぜ”
”全部食べてやろうな”
”鮎の炊き込みご飯作るべ”
”絶対サクラマスを突くべ”
”河原で相撲やらない?”
ここに来ると会話がほとんどカッパでした。

横浜からここへ向かう時も、
”名古屋まではオレが運転な。そこからはこーじが運転”
と決めておいたのに、名古屋までの道中目をランランと輝かせ話し相手になってくれてた。
笑いながら、
”お前早く寝ろよ(笑)”
と言っても、
”そんなの、楽しくて寝れねーよ!”
気持ちがわかるから同じタイミングで仮眠したっけ。
いつもこうだから目的地まで倍の時間がかかった(笑)
でも旅に出れば1週間2週間の単位だったから、笑えることであれば無駄な時間も楽しかった。

この関市から琵琶湖に向かう途中、
”関市 刃物センター”
の看板。
”こーじ。ちょっと寄ってよ。海に出た時用に出刃庖丁買っておこう”
ボクの愚かで馬鹿なところは、大して金も持っていないのに目先のモノに釣られてしまうとこ。
そこで立派な出刃庖丁と刺身包丁を買ったのはいいけど、すでに所持金がほとんどなくなってしまった。
まだまだ旅は始まったばかりだというのに。
呆れてるこーじに向かって、
”オレはこの先魚を食って生きていくんだから、お金なんていらないんだ”
そんなことを言ってるそばから次の日になればこーじにタバコ代をねだっている。
ホント迷惑かけた旅だった。
結局その包丁を使ったのは、その後高知の海でボラをおろしたのと、帰ってからイワシをおろしたのの2回だけ(笑)
寄り道をさせ無駄な買い物をし自給自足だと言ってるくせにコーラばかり飲む。
”こーじー”
と呼ぶと、
”ほい、どうしたい!”
答えてくれる。
いよいよ切羽詰まると細かく折った一万円札を財布のカード入れから抜き取り、
”ジャンジャーン”
とかざしラーメンをおごってくれる。
遠慮のないボクは悪びれもせずビールと餃子まで注文し頭をはたかれる。

その旅の帰り道。
さすがにこーじの持ち金もわずかになってきたので、ボクは遠慮し車内に残りカップラーメンをすすりながらこーじともう一人の友人(おのさん)が飯から戻るのを待ってた。
ほんと惨めな思いだった。
出刃庖丁を叩き割ってやりたい気分だった。
こーじも飼い犬を残して車を離れる気分だったのだろうね。
自分の飯代でギリギリなのに帰ってきた手にはテイクアウトの餃子。
そんなやつだった。

岐阜は思い出がたくさんだから、仕事とはいえいろいろな場面が思い出されてよくない。
用を済ませてさっさと帰りの途へ着きたいんだけど、
”運転手さん。15時まで待機しててください”
と言われてしまえば、
”.いやいやそれはちょっと。。ボクもね、この地でいろいろあって、思いつきで買った出刃庖丁のために散々な目に遭ったわけで◯×△”
なんて通じないものだから困ってしまう。

でも思い出がたくさんなのはいいことだね。
そのひとつひとつを思い出しみんなに知ってもらうことがボクの役目でもあるんだ。
忘却の彼方へなんか埋もれさせないよ。
より鮮明に思い出してやる。
(2014.12.4[木])

〜心、体の後遺症〜
今朝は冷え込んだね。
もう右手が違う。
神経断裂の後遺症は見た目にはわからずとも地味に深刻で、今朝ぐらい冷えると特に人差し指だけ急に黙ってしまう。(しゃべりませんが)
外気に当ててるとすぐに感覚がなくなってしまうので常にポッケの中に入れ眠らないように動かしている。(眠りませんが)
手術の時の医者の言葉を思い出す。
”うわ、だめだこりゃぁぁぁ”
ボクは手術中、許可を得てイヤフォンでCDを聴いてたんだよね。
なぜかというと怖いから気を紛らわすために。
でも途中から気になってボリュームを絞っていた(笑)
ちなみにその時聴いていたのはスティービーワンダー。
ただ、知らないところで何が行われてるのか、そっちの方が不気味なので、ワンダーさんには悪いんだけど、途中から消しちゃった。
医者は医者で能天気に音楽を聴いてると思ってるから発言に遠慮がない。
”だめだなこりゃ。。”
”3本だけじゃん”(繋げられる神経が)
”あ、これもだめー”

ボクが発した言葉は三言。
”先生、麻酔を強くして”
手術前に先生から、
”神経に触る手術だからひどく痛むので、がまんしないで言ってね。麻酔を追加するからね。ってか、がまんできない痛さだけどね。へへ”
と言われてたもので、舌打ちしながら3回お願いした。
結局”使い物”になる神経は3本しかなく、繋げてみたけど感覚は戻らないかもしれない。
と言われた。
同情の顔を隠さず、
”松平さん。◯級の障害の申請するなら書くからね”
なんだか手術に失敗したみたいで悲しかった。
”いや大丈夫です。ここからはまかせてください”
ボクは昔から野生動物みたいだった。

その後3ヶ月ほど、ギブスで枝のようになってしまった腕のリハビリと、辛くて悲しい右手を動かすリハビリを経て、半年ぐらいをかけ感覚が戻ってくるようになるんだけど、どうやらこの知覚神経の回復も医者に言わせると奇跡で、だとしたら体温調整の神経は戻らないかもしれないと言われた。
つまり、繋がっていない神経が山ほどある、とはっきり言われた。
結果まさにその通りで、今朝ぐらい気温が冷え込むと、発熱機能を失った右手の指3本はすっかり外気温の影響を受け氷を握っているかのごとく冷たく痛んでしまう。

だけどボクはこの後遺症でこの時期ひどく落ち込むというのではなく、
”.こんなんなっちゃったけど、よくもまあここまで回復してくれたね〜”
という、どっちかって言うと未だに嬉しい思いが強く、よく右手を愛おしそうに眺めては開いたり閉じたりを繰り返してるのは、そういう理由があるんです。(て、知らないか 笑)

昨日なおやに電話したら、楽器は無理だけどとりあえず経過には問題なく、
”まあ14日はバックダンサーでもなんでもいいから、ちょこっと顔を出してよ”
と言ったら、
”.まあ、なにかしら考えときますよ”
と地上げ屋のようなことを言ってた。
けっこう危なっかしい事故だったらしく、ホント指が繋がってるだけ、神経の損傷がないだけでもよかったと思ってる。


ちなみにその時の手術後、麻酔が効きすぎて病室でまどろんでると、カーテン越しに一目でこーじとわかる気配がスーっと近寄ってきて、ボクの顔を覗き込むなり、
”かかかか”
といつものバカ笑いで見舞ってくれた時には、
”もういいや右手は。オレにはこんな素晴らしい右手がいるんだから”
と思って急に気が楽になったのを覚えてる。
ホント身内を超えた体の一部のような存在だった。

感覚がないとピックなんて持てず、親指にサムピックをテープで縛り付け、打楽器のように危なっかしくギターを弾き、冷たくなった右手をさすりながらも、決して諦めなかったボクを誰よりも見ていたから、感覚が戻ってるかも、と伝えた時は自分の手のように喜んでくれてたっけ。
ホントに嬉しそうに喜んでくれた。

一時の夢だったんだ
失ったのではなく 元のさやに戻ったということ
君にも言えるね 失ったと考えると やりきれない
ラッキーだったと考えるようにしてる
全てを忘れ 天にまで昇るような思い
だけど天では暮らせなかった
いつでも気がつけばひとり
夢は永遠ではないのなら
一瞬一瞬こそ深く強く
(2014.12.3[水])


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