昔の日記はこちらから(2002年10月〜2009年12月)

2016年03月の日記

〜春にコロコロ〜
岐阜入りし名古屋の景色を眺めながらの運転。
山間部を除いた岐阜、そして名古屋は満開の桜。
写真を撮ろうと思ったけどキリがない。
さっきより見事な桜がワシワシと現れてくる。

ボクにはすごく幼稚なところと妙に年寄りじみたところがあって、運転席から見下ろす他人の子供を故郷のおじいちゃんのような顔をしていつまでも眺めていたりする。
”大きくなったなぁ”
なんて見ず知らずの子に勝手に感慨を抱き思わず目頭を熱くさせたりしてる。
とは言え、そんなそばから無意識のうちにパンツの中に手をつっこみチンコをかいていたりして(クセです)、まだまだおじいちゃんの境地に達するには手の落ち着きがない。
町を行くヒト、鳥、川や草までもが春の訪れにコロコロと浮ついているのがわかる。
こっちまでもがなんとはなしにウキウキしてきて、気づいたらニヤついている自分が気持ち悪い。
わずかな差を持ち今週末は関東でもこんな光景が見れるんだろうな。

仕事柄、土地土地の一足早い春、冬のシッポに出会えるのは、静かに楽しい。
花びらのように子供たちがヒラヒラコロコロと走り回る季節だから、いろんなモノから護る意識で今日もハンドルを握っている。
(2016.3.31[木])

〜尊い日々〜
明日で3月も終わり。
なんだか3月は長かった。
通常の1ヶ月に1週間を足したような感覚。
入っているライブを終わらせてしまうと、もうその月には用はない。
薄皮を1枚1枚剥ぐように月日が過ぎるのを待っている。
今週の土曜日の”録会”〜呑んだくれナイトファイナル〜のみに気持ちが向いているのがわかる。
ただ気負いもなくいつも通りの気の張り。
何か特別なことをと思っていたんだけど、いつも通りのステージをやることだけで必死で、そんな余裕はないと気づく。
ホント毎回必死にみんなに食らいついていってた。
気負い頑張りすぎていたんだと思う。
さあラストだ、もうひと頑張り!
なんて奮い立たせたところで、ボクの背伸びはもう臨界に達していて、そのひと頑張りの振り幅の”遊び”がない。
等身大の自分を描くだけだ。
この等身大の自分までが長かった。
途方もなく。

ひとつの感情に引きずられた1年、1日は途方もなく長い。
思い出したように振り返り、
”あっという間”
で片付けるのにはいささか抵抗を覚える。
ヒトの一生は”積み重ね”の一言に尽き、今日一日こそ一生が凝縮されているとするなら、やっぱりパンツはきれいな方がいい。
(2016.3.30[水])

〜仕事とはいえ〜
今夜の宿は奈良。
道路の標識に”法隆寺”と記されている。
真っ暗なので法隆寺はおろか、奈良を感じさせてくれるモノは一切望めない。
唯一、ワンカップを購めたコンビニのおばちゃんが関西弁だった。
二言三言でも関東のソレとは違う。
”あの、ボク、ジャージなんて着ちゃって、まるで近所から来たような顔してますが、5時間ちょっとかけて神奈川から来たんです。わからないでしょ?”(わかるわけないがない)
なんて話しかけたくなるのを抑えトラックに戻る。
見上げれば真っ白な月がリンリンと浮いているんだけど、なんだか暗闇の方が勝ってる感じで、向かいの”吉野家”のオレンジが間抜けに眩しい。
新幹線や飛行機ではなく、自分の力ではるばる来たものに対しては実感がほしい。
それは地元の郷土料理や風習、文化など大げさなモノではなく、わずかな日常の違いに触れたいのだ。
秦野の山を見て生活しているボクにとっては、例えば普段とは違う山の形だけでも大いに満たされる。
それが全くないとなると、なんだか損した気分になる。
損などしてないんだけど。

前に大阪で、
”たまには大阪のラーメンでも味わってみるか”
と店に入ったものの、席についてすぐに自分のバカさ加減に呆れた。
そこは”熊本ラーメン”の店だった。
名古屋はしょっちゅう行くんだけど、なるべくだったら名古屋でしか食べられたいモノを腹に入れたい。
だけどボクがよく行く店は”台湾ラーメン”の店だったりする。

朝起きたら近所を散策してみようか。
朝のニオイこそ、その土地の持つ性格なんだ。
言ってしまえば全てが仕事で奈良にいるんだけど、そう言ってしまうと夢がないではないか。
なんだっていいんだ。
小さな発見がゆっくりとボクを形成してきたんだ。
そういうアンテナは常に持っていたい。
(2016.3.25[金])

〜こーじの誕生日〜
3月23日。
今日はこーじの誕生日。
生きていれば40になってたんだ。
きっとたくさんの仲間に祝ってもらったんだろうな。
もしくは、すぐ隣りのはなさんくみさんちにお呼ばれしていたのかも。
いや、はなさんくみさんと待ち合わせて一久あたりで乾杯してる絵がなんとなく一番現実的かな。
もしくは子供と3人でケーキを囲んでいたのかもしれない。
たら、れば、は残酷なほどキリがない。
オレはどうしていたのかな。
相変わらずこーじりえちゃんに心配ばかりかけてる生活をしてるのは想像に難くない。
確実に言えることは今とはまるっきり別人のオレだということ。
バカのまま死ねなかったオレは不幸だと思うよ。

こーじ。
もういないからあれなんだけど。
でも誕生日おめでとう。
お前が生まれてきてくれたこと、そして出逢うことが叶い、それだけでオレのジンセイはラッキーなまでに救われたんだ。
だからやっぱり今日の日はいつまでも”おめでとう”であり”ありがとう”なんだ。

あのオレが40、あのこーじが40。
”えー!?”
とまたカラカラと笑いながら2人して驚いてたんだろうな。
オレはホント、バカで乱暴で、みすぼらしい不幸なガキだった。
なんでお前みたいなスモモのようなホッペをした愛情たっぷり育てられたかわいい少年がオレなんかのそばにいてくれたんだろう。
そしてそのまま2人して大人へと共に歩んでいってくれた。
なんで?
面倒くさかったろうに。。
みんなが離れていった時でもお前はずっとそばにいてくれたよな。
なんで?
そこはなんだかずっと聞けずじまいだったな。
お互いの唯一のタブーだったような気がする。
この年になって初めて話せたのかもしれないね。
今、オレはね、やっとイッパシの人間ぶって、いろいろ頑張ってるよ。
ヒトに不愉快な思いをさせないようにそこは充分に気をつけている。
お前のマネをしてるだけなんだよ。
でもね、いつもいつも今でも充実すればするほど胸が詰まる時がある。
恩返しじゃないけど、フツーに生きていけてるこの姿を見せるべきはお前になんだよ。
こみ上げる瞬間が増えたのは、充実してるからなんだろうと思う。
そこにお前だけがいないことが例えようもなく辛い。
引かれていく感情と足されていく感情ってあるんだな。
いつでも幸せの裏側にベッタリと悲しみが張り付いている。

この悲しみこそ、こーじお前そのものなんだ。
どうかいつまでもその魂をオレに宿しオレのギターを心ゆくまで弾いてくれよな。
お前が死ぬ時はオレが死ぬ時だからな。
40のこーじ。
会いたかった。
そして、
これからもひとつになりて共に歩むことを誓う。
(2016.3.23[水])

〜そうぞうりょく 5年〜
 昨日は東神奈川にあるダイニングバーJ☆Bacchusにて東日本大震災復興祈念ライブ そうぞうりょくvol.5。
東日本大震災以降毎年3月に行われていこのイベントも今回で5回目を迎えた。
主催の岩手出身シンガーソングライターの藤原亮こと亮ちゃんとは同年代ということもあって、公私共にもう長い付き合いになる。
むしろこーじの方がイベントなどで付き合いは深かったのだけど、今ではこーじの分もそっくりボクがその縁を請け負っている思いを持っている。
 
 昨日は日曜の夜にも関わらずたくさんのみなさんにおいで頂き長い時間お付き合い頂いた。
ひとりひとりのご足労によってボクらの力となり、ひいてはその先の見据える思いを寄せる先へと繋がってゆく。
 力に成り得ることは、なにも目に見えることばかりではない。
粛々と目の前の思いを繋げてゆくことこそ、実はとても大切なことなんだ。
J☆Bacchusの協力、そして共演の亮ちゃん、お初のなかさん、Roseにも改めて感謝をここに記しておきます。
お疲れ様、そしてありがとうございました。

 ずっとこの”そうぞうりょく”を支えてきたRoseは来月新潟は佐渡へと旅立つのだという。
 離れのボットン便所なんだぁ、なんて羨ましいことを言っていた。
ボクも秦野へ越してきた時はシャワーなしボットン便所の部屋の中でも風が吹くワイルドな物件だった。
夏にはボットンの底にウジが湧き寝室にいてもハエの羽音で賑やかだった。
その頃一部屋そっくり飼育部屋にしブルーギルとナマズ、ブラックバスを飼っていたのでエサには困らなかった。
困難を楽しむのが旅だ。
Roseの門出を祝う気持ちでセッションでは彼女の横でギターを弾いていた。
 Rose、またその歌声を聞かせてね。






 
(2016.3.14[月])

〜東日本大震災とボク〜
東海道線で大船に向かっている。
今日はハダカンボ★アバレンボのリハ、夜はカレーのおいしい”ちぃりんご”さんで投げ銭ライヴ。
奇しくも今日3月11日は東日本大震災の日。
改めて5年前の今日、何が起きていたのか思い返している。
家を出る前は情報化、映像化社会のおかげと言うべきか、生々しい5年前の今日がテレビに映し出されていた。
5年前の今日、自分が何をしていて、その後どう過ごしたのか、やっぱり鮮明に憶えている。

復興復旧と言えど、5年の時を経ても未だ仮設住宅暮らしを余儀なくされている方々がおられるという現実。
放射能汚染で帰れね故郷。
あの時ボクらは自分に何ができるか問うた。
自問自答の日々が始まった。
明確な答えを得ぬまま今日まで来ている。
むしろボクはことさら刹那主義の傾向が強くなった感がある。
”どうせ自分の意に関せず、一瞬にして終わるんだ”
やりたいようにやるよりも、やりたくないことを極端にやらなくなった。

それでもやっぱり歌の力を信じている。
そしてそうでありたいという思いは強くなった。
時々白けてしまうんだけど、どうにかその都度持ち直している。
ボクがボクを捨てなければひとりぐらいは助けることはできるかもしれない。
だからボクはボクで精一杯なんだけど、そこを踏ん張ることがボクの東日本大震災との向き合い方なんだろうと思ってる。
誰しもヒトの力になり得ないのは辛いものだ。
ただひとりひとりが精一杯生きてゆくことだけでも、それは巡り巡って誰かの力になり得ていると思っている。

たくさん尊い命に改めて黙祷。
(2016.3.11[金])

〜4月2日”録会”〜呑んだくれナイト〜のこと〜
4月2日(土)”録会”〜呑んだくれナイト〜のフライヤーがあがってきました。
当ホームページのライブスケジュール、フェイスブックにて掲載させてもらいます。
今回は土曜日なんですね。
ボクは日曜日は大反対だったんですが(笑)、ハギンズビーのメンバー1人欠けても成立を見ないという録さんの判断でずっと日曜日開催になってました。
”録会”の所以たるGood is Goodの録さん、そして会長こと池田さんのお二人から始まったこのイベントも大和ハギンズビーから数えると何回目を迎えるのでしょうか。

唐突になってしまいますが、今日の日記で来たる4月2日を持ってこの”録会”〜呑んだくれナイト〜が最後を迎えることを報告させてください。
これは誰1人欠けても成立を見ないという録さんの先の考えの貫徹、そしてメンバーも同じ考えだという判断の表れという他ありません。
長きに渡り足を運び共に育ててくれ、応援頂いた皆様、呑んだくれメンバー、携わって頂いたスタッフには感謝感謝、ホントありがとうの一言に尽きます。
そしてこのような結果を招いた私め如きの大甘な因を、どうかお許し願いたいなんておこがましさは重々承知の上、それでもなかなか払拭できない思いでもあります。


そもそもの経緯を説明する必要もあろうかと思うのですが、それには先ずボクの胸の内を明かさなければ”なんのことやら”になってしまうのですが、そう一言で説明ついてしまうものではないので、追い追い補足的にこの日記で吐露していくことになると思います。
ひとつ言えることは、もう4年前になろうとする8月3日。
こーじ、りえちゃん、そしてりえちゃんのご家族の訃報を受け、次の日がこの”録会”という残酷。
でもなんとかベルズに出向き(当初はすぐに行けない旨を録さんに連絡してた)自らの口でそれを伝え、つたなくとも一曲歌ったこと、このことがなければ今歌ってるかはわからない。
もう歌う手がかりをその日に失っていたと思う。
そしてその後は、この”録会”を手がかりになんとかスピリッツを繋げ自分を取り戻そうと、もがいた。
もう血液が入れ替わったような思いだった。
プライド、自信、、、ちょっと前までの自分が他人のように感じてた。
今でも歌うことが叶っているのはこの”録会”あってこそ。
これは大げさではなくホントのこと。
だけどやっぱりボク、そしてボクが歌う上での損失は大きく、それを埋めることは場数や技術の向上だけではどうにもなるものではなく、楽しければ楽しいほど、盛り上がれば盛り上がるほど、カラカラと笑ってはみるものの、やっぱり辛いものはあった。

だからボクはどこかで過去と決別しなければならないと強く感じるようになってた。
それは気持ちもそうだけど、目につくわかりやすいものでなければならない。
今ボクはなぜか秦野という縁もゆかりもなかった土地に住んでるんだけど、これと同じ感覚なのかもしれない。
どこに行くかではなく、今の場所
から離れることが重要なんだと。
これはごくごく情けなくも本能的自己防衛のようなもの。

ジンセイはどんなことがあってもまた立ち上がることができる。
どんなに月日を必要としても。
それは死ぬことができないから。
だからオメオメとメソメソと生を続ける。
そして立ち上がれた時、歩き出さなければいけないという思いが湧いてくる。
それはポジティブなものだけじゃなく、立ち上がれた場所からすぐと離れなければ、根が生えて足を絡みとられてしまいそうな気がするから。
逃げる感覚と似ている。

走りながらもがきながら泣きながら泣きながら、やったやったと振りほどいて。
ゆっくりと死んでゆくほど辛いものはない。

こういう思いに至ったのも、この”録会”に集うひとりひとりのおかげだと思っています。

月曜日、ましてや雨の週の始まりからごめんなさい。
またツラツラと、思いを綴らせてください。
決して後ろ向きな決断ではないこととご理解頂ければ本望です。
(2016.3.7[月])

〜長良川〜
岐阜で朝。
あと少し北へ行けば思い出の地”郡上八幡”だ。
そう何度も通う土地も多くはない。
四万十川を持つ高知と長良川を持つ岐阜は郡上ぐらいかな。
ホントどちらの土地もボクの好きなものが溢れていてそれ以外のものがないのもいい。
都市の用水路のような無機質な河川ではなく、山水を集めた自然としての川。
たくさんの豊富な種類の魚。
川に依存した生活のある生きた文化。
夜になれば星星星、そこはかとなく漂う魑魅魍魎。
聞き取るのに苦労する訛りの強い老人。
長良川鉄道を使いまた訪れたい土地”郡上八幡”。

思い出。
郡上八幡では、竿を垂れるこーじを尻目に、根気のないボクは川に潜って魚(カワムツ)を30尾ぐらい手づかみし、夜はそれを素揚げにして笑いながら食べた。
ウナギもナイフでさばき焚き火で炊いたご飯で鰻丼にした。
米さえあれば川では生きていけた。(笑)
ある時カメラをぶら下げた女性が近づいてきて写真を撮らせてくれと言う。
埼玉から来たとのことで、旅先の写真をおさめながら旅をしているのだと言う。
すっかりボクのことを地元のヒトだと思ったらしく、神奈川から来た旅行者だと言ったら驚いていた。
その頃ボクは旅先ではほとんどを川の中で過ごしていたので、地元の川漁師のように真っ黒だった。
こーじは夕方に少し体を流す程度しか川に潜るということはしなかった。
ボクらは趣向が違うくせに同じ場所でそれぞれに楽しむことができた。
だから何日も旅を続けていても夜焚き火を目の前にすれば会話に困ることもなく、話すことに飽きたらギターを弾き歌を歌っていた。
やたらと早起きなボクは先に起きて焚き火を熾しコーヒーを飲みながらこーじの起床を待つ。
こーじは放っておくといつまでも眠っているオトコなので、すぐに痺れを切らしてしまうボクは、
”おーい、もうお昼だよ”(ホントは7時とか)
とウソをついてよく起こしていた。
焚き火の前に座りコーヒーを淹れてあげ、
”ホントは何時だと思う?”
と言うと、ホントの時間を確認したこーじは、
”うほーい。ふざけんなよなー”
としばらく怒り、その後呆れたようにカラカラと笑ってくれる。
そこまでして起こしたところでボクはボクで川に潜っていき、こーじはこーじで釣りの支度をするんだけど。
またお互い黄金の1日を見える場所で好き勝手始める。

大きな川に響き渡るボクの声。
”こーじー!”
”こーじー!”
”こーじー!”
”どいしたまっちゃん!”
すぐそこの長良川を遡れば、そんな声が聞こえてきそうで、涙が出てくる。
(2016.3.4[金])

〜夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く〜
3月に入りました。
いきなり春ですね。
立春を過ぎれば小春日和とは言わないのでしょうか。
感情の起伏の激しい女性のような、突然雨が降ってきたり、嵐のような風が吹いたり、何もなければ穏やかに温い、嗚呼春よ来い。(来てますが)

松任谷由実さんの”春よ来い”。
ホントにいい歌ですね。
伴奏だけ聴いていても小刻みなピアノのフレーズが桜の花びらの如くまさに春の感じに溢れています。
歌詞も古い日本語が使われていていいですね。
美しい言葉。
アルファベットの国にはない感覚かもしれないですね。
冬を乗り越えた先のご褒美。
桜。
嗚呼 桜。
サクラよ。
おいサクラ。(寅さんです)

今月限りでこの”春よ来い”をライブで歌ってみようかと思っています。
鎮魂、復興、たくさんの想いを込めてね。
先ずは3月13日東神奈川はバッカスでお待ちしています。

まだまだ見ぬ春。
でも欲するまでになったのは月日の積み重ねのおかげ。
春よ来い。
(2016.3.3[木])


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